<祈り〜ソプラノとピアノのための〜>
視覚的な印象を音に変換して、自発的に演奏する。スコアは奏法に関する厳格な指示を持たず、まるで子供の落書きのように、色鉛筆で五線上に色々な記号や直線、曲線が描かれている。映像が先行して音を生み、偶然的な協和、不協和が映像をも生む。
曲中で歌手に二度、ピアニストに一度指示された「かるた拾い」の箇所では、ステージ上に伏せてばらまかれた30枚のカードから任意のものを拾い上げ、そこに指示されたフレーズ(または記号)からイマジネーションを膨らまして即興演奏を行う。
タイトルのまま、曲頭と終止では"pray silently"の指示。日本人には馴染み深い黙祷を捧げる。
視覚と聴覚の交差する妙味の音響体験。
初演:日暮里サニーホールコンサートサロン
2013年2月17日
ソプラノ:辻岡美沙子
ピアノ演奏:村尾なつめ
上段・中段 スコアより一部抜粋/下段 かるたの一例
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私達日本人にとって強烈な印象を残した東日本大震災から、早くも2年が経とうとしているが、 こうしてアニバーサリーにでもならないと、日増しに報道も減ってきているのが残念でならない。
日頃きれい事を並べたがるくせに、いざという緊急事態にはまったくアクションを起こせない。
自分が醜い存在だと思えた。
「音楽は人の役に立つのか?」という自問に即答できない。
言いたい答えは決まっている。だけど、生死の危機でそんな悠長なこと、言えるものか...................。
実感として感じたかった。
せめて自分ができることとして、音楽を介して人が集まる空間を作ろうと思った。
非被災者でもみんなが虚無感を抱いて過ごしているような日常で、小さな小さなイベントを打つ。ちょっと気分が軽くなったり、会話が一つでも生まれればいい。
その思いが2011年に二度フリーコンサートを開催する原動力となった。
そして、今回はその先を行かなければならなかった。
ずっとずっと目を背けてきたことにいい加減向き合わなければならないと思っていた。
「役に立つ音楽」って一体何だ?.....................
散々考えてきたところようやっと「祈り」に到達した。
答えは実に単純明快だ。
それとは全く別のベクトルで、音遊びのような方法で音を紡ぎ出したいと思っていた。音と音名をパズルのピースのように一度ばらばらに切り離して、そこに生まれる言葉を再び組み上げる。
音名という「名前」から、音そのものを得ることにし、結果として生じた音列を歌詞としても使用することにした。
例えばG音(ソ)を歌っているときの歌詞が「そ」(イタリア語音名)や「ト」(日本語音名)になっていること。
(これは別段、特別な方法でも何でもなくM.ラヴェルの「ハイドンの名によるメヌエット」に代表されるように多くの作曲家が音名をアルファベットに置き換えてフレーズを作っていたりする)
制作過程で個々に独立した「音」を見て、この時は音らしい音は感じられなかったのが、出来上がった音列と歌詞からは普段頭の中に在ることがにじみ出ているなと感た。
モチーフにした音名、楽器固有の名称(絃名等)は日本語、英語、イタリア語、ドイツ語、邦楽器の篠笛(八本)、篳篥、尺八(一尺八寸管)、笙、琵琶(楽琵琶壱越調)、箏(十三絃・平調子)。
※得られた歌詞全文
坊やは父母と遊び 空は朱色に
村には僕と汀線
陸と空見れば 死と弔い
原は至幸を問い 外は陸と空
一向に無下
歌手の辻岡さんには、
歌には「音(音感)」と意味が共存していることを教わった。